事業承継やM&Aの場面で、「いくらで事業を譲り受けるか」という問題は譲受手にとって非常に重要な課題です。対価の決定は、譲渡側との交渉の核心部分であり、将来の事業運営にも影響を及ぼし得ます。この記事では、対価を考える際の基本的な考え方、評価方法、交渉ポイントについて解説します。
対価の考え方

事業を譲り受ける際の対価は、単に「いくら払うか」だけではありません。譲受手としては、譲り受ける事業が将来どの程度の価値を生み出すかを考慮する必要があります。対価の決定は、事業価値の評価を出発点とし、その後に譲渡側との交渉で決定されるものです。
対価の考え方の重要なポイントとして、以下の様な点が挙げられます。
現在の価値と将来の収益性:事業の価値は、現在の財務状況だけでなく、将来にわたってどれだけ収益を生み出せるかによっても決まります。譲受手は、譲り受ける事業の将来性を十分に分析し、投資としての価値があるかを判断します。
リスクとリターンのバランス:事業譲受にはリスクが伴います。そのため、対価を決定する際には、潜在的なリスクを考慮して適切な価格を設定することが重要です。たとえば、負債や法的リスクが大きい場合は、対価を低く抑える交渉を行うことが望ましいでしょう。
事業価値と株式価値

事業価値及び株式価値の2つの概念は、M&Aや事業譲受けの対価を考える上での最重要テーマと言えます。これらの2つの数値は、「EVがいくら、株式価値がいくら」など、M&Aや事業譲受けの現場で頻出しますが、意味する内容が異なるため、その違いを正確に理解しておくことが必須です。
事業価値
会社が事業を通じて生み出す価値を表します。事業価値は英語のEV、すなわち、Enterprise valueに相当します。
非事業資産
余剰現預金や遊休資産など、事業では用いられない資産を指します。会社全体の価値は、事業価値に非事業資産を加えたものとして算出されます。
有利子負債
借入金や社債などを指します。
株式価値
事業価値及び非事業資産から構成される会社全体の価値から有利子負債の金額を引いたものが株式価値です。株式価値は、会社全体の価値の内、株主に帰属するものです。
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これらの各要素は、以下の様な関係にあります。
・事業価値+非事業資産−有利子負債=株式価値 あるいは
・株式価値+有利子負債−非事業資産=事業価値
すなわち、事業価値を起点に株式価値、または株式価値を起点に事業価値を計算することもできます。
事業価値・株式価値の評価方法 ①マルチプル法

事業価値を評価するには、いくつかの手法があります。ここでは、マルチプル法について説明します。
マルチプル法|概要
マルチプル法は、EV/EBITDAマルチプル法などとも呼ばれ、M&A実務の現場で最も一般的に用いられているバリュエーション手法です。
マルチプル法では、EBITDAに、マルチプルと呼ばれる倍率をかけて、事業価値を算出します。その後、事業価値に非事業資産を加算し、有利子負債を減算することで、株式価値を算出します。
ここでEBITDAとは、営業利益に減価償却費を加えた利益指標です。
また、マルチプルとは、対象会社と同様の事業を営む上場会社(すなわち、類似会社)のEV/EBITDA倍率を指します。複数の類似会社のEV/EBITDA倍率の中央値が用いられるのが一般的です。実務上、マルチプルについては、情報ツールを通じて取得したり、あるいは、支援機関などにヒアリングして確認します。
事業価値・株式価値の評価方法 ②年買法

事業価値を評価するには、いくつかの手法があります。ここでは、年買法について説明します。
年買法|概要
年買法は、事業承継などを中心とした中小企業のM&Aの現場で頻繁に用いられている手法です。「年倍法」とも呼ばれます。
年買法では、BSの純資産を基準に、一定の時価修正を反映した修正純資産を算出し、そこに対象会社の収益力を反映したのれん(営業権)を加算し、株式価値を算出します。
ここで、のれん(営業権)は、利益指標に一定の年数を掛けて算出するのが一般的です。利益指標としては営業利益、年数は対象会社の業種や事業内容、魅力度などによって異なりますが、数年程度が用いられます。
対価交渉のポイント

一定の評価手法を用いて事業価値・株式価値が決まったら、譲渡側との交渉に進みます。対価交渉における主なポイントとして、以下の様な点が挙げられます。
柔軟な支払方法の検討
対価の支払方法は一括払いだけでなく、分割払いや条件付支払いも考えられます。このような支払方法が採用された場合、譲受手は資金繰りを調整しやすくなります。
また、条件付支払いの代表例として、譲渡側に対して将来の業績に応じた支払いを提案する「アーンアウト」が挙げられます。アーンアウトは、事業譲受のタイミングでは対価の一部のみを支払い、その後業績推移に応じて追加の支払いを行う仕組みです。これにより、譲受手は業績が不透明な事業のリスクを軽減することができます。
リスクの明確化
対価の検討に際しては、対象会社に起因する潜在的なリスクについて慎重に検討する必要があります。デューディリジェンスを通じてリスクが発見された場合は、対価の引き下げを求めることが交渉上のポイントとなります。
シナジーの考慮
譲受手が自社の既存事業とシナジー(相乗効果)を見込める場合、対象会社単独の事業価値・株式価値に比べ、対象会社の事業価値・株式価値が高くなる可能性があります。本来的には、シナジーによる事業価値・株式価値の上昇は譲受手が享受すべきものでありますが、譲渡側との交渉上、対価の引き上げが必要な場合は、シナジーに伴う事業価値・株式価値の一部を譲渡側への対価に充てることが考えられます。
まとめ
対価の決定は、事業譲受の成否を左右する重要なプロセスです。譲受手としては、事業価値・株式価値を正確に評価し、譲渡側との交渉を慎重に進めることが求められます。柔軟な支払い方法やリスク管理を考慮しながら、自社にとって最もメリットのある条件を引き出す努力を怠らないようにしましょう。事業の譲受は大きな投資ですが、適切な対価で引き継ぐことで、新たな成長の可能性を広げることができます。